擬麻シルクのニット、変身させます~
2009年 08月 18日
これからいろいろプラスして、変身~させようかと・・・
編み出したのは、取り外し自由な替え襟。
が、この糸、サラサラしていて巻きが柔らか過ぎて
もじゃもじゃになりつつあります。
一番嫌なパターン。
編むより解いている方が時間がかかります。
コーン巻きの糸を添えたりしながら
モチーフを編んで付ける予定。
ひらめいた時に忘れないようにと手をつけるので
やりかけのもので机の上はいっぱい状態。
ひとつずつ、完成させていかねば!
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「私はそうは思わない」というエッセー
なるほど、そういう考え方もありますねーと結構、うなずくことが多かったです。
現代の便利すぎる・・・・
何でも人が機械がやってくれる、やりすぎるという飽和状態。
引越し屋さんが何から何までやってくれ、お掃除屋さんもあり
お買い物までやってくれるサービスもあり
歩いて10分の郵便局へ車で行ってしまう。
本来、人間はトータルな能力がるものなんだそうです。
生活するのに、ある程度のものは自分で工夫して作っていけるはず。
でもエキスパートが作ってくださったものをお金を出して買って使って
余った時間を何に使おう?
余った時間のはずなのに、何だか忙しい忙しいと言っているような気がします。
何がどうなったのかはよくわかりませんが
世の中どこへ向かっているのかなー?
もうひとつ、手作りについて書いてある箇所が印象に残りました。
急須が漏り、染めが洗濯したらはげてしまい、
手織りの洋服がすぐに型崩れして・・・・と経験されたらしく・・・
お叱りの言葉。
「あんたら一体何を作っているのだ。・・・・・中略・・・・ウチの田舎のばあさんが農閑期に織った
木綿は着物からふとん皮から雑巾・・・50年の命を全うしたぞ。手作りとはそういうものだ」
自分の作ったものを散々使い、お洗濯をして、その結果どういう状態になるか確認してからでないと
人様に使っていただけない。とても痛いお言葉です。
地震お見舞いも差し上げず、失礼致しました。
お元気そうで、作品作りも追いつかないくらいひらめいていらっしゃるkirakuさんですね〜!何か糸を解くお手伝いでよければしたくなります^^
私は”そうは思わない”すごくわかるような気がします。
でも、買う側の場合、もしお気に入りで買ったニットがフェルト状になったら、それを捨てないで活かすような、現在に馴染んだ”そうは思わない”も浮かんできます。きっと世の中、廻ってると思いますよ〜*そう思いたいだけかな???^^
どんなものでも、その命を全うするまで使うことが出来れば幸せですね。
それは使う側の気持ちもあると思いますが・・・でも粗悪品はそれ以前の問題なので、それだけは気をつけねばと思います。
確かに廻っていると私も思うのですが^^